自己紹介

静谷進助のプロフィール!超絶できないダメな自分でもここまで来れた

こんにちは、静谷進助(せいたにしんすけ)です

自己紹介をします

私は現在ネットビジネスの仕組みを構築し自動化で収益を上げています

以下のプロフィールを読んでいただければわかりますが

私は人並み外れたできない人間です( ;∀;)

なんでも出来てしまう方から見れば想像を絶すると思います

良くそれで今まで生きてこられたね

っというレベルです

そんな出来ない私がどうやってここまでたどり着いたか

その経緯について書いていきます

病弱で神経症的な子供時代

 

子供の頃、10歳までに5回ほど入院していました

特にどこが悪いとかではなく腸風邪で下痢や発熱が続いたり、気管支炎をこじらせたり

入院以外でもよく熱を出して学校をちょくちょく休んでいました

病弱なせいか【自分はこの先長く生きていけない】と本気で思っていました

テレビで癌やエイズの事をやっていれば小学生にして本気で自分はその病気かもしれないと思い、親によく訴えていました

【トイレを我慢するのは身体に良くない】という情報をキャッチすると10分や20分毎におしっこにいって行きすぎで尿道が炎症を起こしました

学校の授業中は45分トイレにいけないので尿意が少しでもすると我慢してはいけないのでお漏らしをしていました

それが小学校3年生くらいだったと記憶しています

野球少年時代

 

小学校4年生から中学校3年まで野球をやっていました

野球で心身が鍛えられて徐々に神経症的な性格はマシになっていきました

というより野球が大変過ぎて余計なことを考えている余裕がなかったのです

それが良かったのかもしれません

しかし野球でも神経症的な側面が顔を出しました

野球ではショートやサードを守っていた私ですがイップスになってしまいました

イップスとは精神的な影響でプロ野球選手がボールを上手く投げられなくなったりすることです

元メジャーリーガ-の田口選手も入団当初はショートを守っていましたがイップスで外野手に転向したと言われています

また現在では阪神の藤浪投手がイップスを克服しようと頑張っています

私もショートを守っていて一塁へ悪送球をすると

また失敗するんじゃないか

もう自分のところにボールが来てほしくない

 

などとビビっていました

取れるボールもわざと動きを遅くして取れない振りをしたりしていました

あー今考えても情けない

野球をやっていた時期、野球部ブランドでとても女の子にモテました

しかしここから自意識過剰になり人前で緊張するようになりました

それまでは生徒会会長や少年野球のキャプテンをやったり、500人くらいの全校朝礼で朝礼台に立って話すのも全然平気でした

モテるようになってから今の自分の振る舞いや発言はどう思われたのか、嫌われたんじゃないかなど勝手に芸能人ばりに自意識過剰になっていたのを思い出します

人前に出るのが嫌になった決定的な出来事があります

中学1年生の時の学年集会で5人だけスキー学校の役割分担を発表する機会がありました

たまたま先生が私が発表することを事前に伝え忘れていました

そして発表当日に体育館を埋め尽くした学年集会の前で

この班の発表者は誰だ?

となりました

誰も出てこないのでみんながソワソワしている中、その先生が途中から出てきて私の名前を呼びました

何も聞いていなかった私はびっくりしながらやるしかいので前に出ました

何も準備していなかったのでシドロモドロになりながらなんとか発表を終えました

その先生を恨むぬと同時にこの時に大勢の人前での発表が一気に嫌になりました

 

社会に出てから転職ニートを繰り返す

 

大学の卒業を控え社会に出るのがとても怖かったことを覚えています

  • お酒が一滴も飲めない
  • 極度の方向音痴
  • トイレが近い

からです

トイレが近いのは余計ですが(*_*;

大学ではどのサークルにいっても飲み会飲み会で世の中ってこんなにアルコールが大事なのかと愕然としたのを覚えています

うちの父親は自営業者で家では全くお酒を飲まなかったからです

社会に出ると飲み会が頻繁にあって強制的に参加しなければいけない

 

そんな話を聞いて社会に出るのがとても憂鬱になりました

その上、私は極度の方向音痴で大学のキャンパス内で迷ったり、1号館から2号館に行く方向がわからなくなったりするほどです

これでは営業職だと道に迷ってアポの時間に間に合わなかったりして仕事にならないと思いました

方向音痴に関してはお金をかけていろいろな脳力トレーニングを行いましたが全く改善されませんでした

イチロー選手や坂本龍馬もかなりの方向音痴という情報にはとても励まされました

大学卒業後、新卒で地元の金融機関に入社しましたが6月の健康診断で肝臓に異常値があり即入院しました

原因は親知らずの痛み止めで飲んだ薬が肝臓に負担がかかりガンマGTPが異常値になっていました

これで人生6度目の入院です(ちなみにこの2年後にも入院しトータルの入院歴は7回を数えます)

アルコールが弱いのも薬ですぐ反応しちゃうのも肝臓の分解力が弱いようです

結局、新卒で入社した会社を半年で退職しました

ニート生活に突入します

その後就職してすぐ退職を何度か繰り返しました

母親からは【こんな田舎でそんなことして恥ずかしいからもう出ていってくれ】と言われました

母親からこんなに突き放されたのは初めてでとてもショックでした

お酒が飲めない
極度の方向音痴
トイレが近い

 

以外に社会に出て初めて気づくことがありました

それは他の人と食事などをするとみんなよく魚の名前や野菜の名前、肉の部位など食べ物に詳しい点です

でも次第に他の人がみんな詳しいことに気が付きました

要するに自分がわかっていなかっただけなのです

他の人に比べて自分は映像が記憶出来ていないんだと気づいたのです

方向音痴なのも食べ物の名前を覚えられないのも原因は同じで映像を記憶する能力が著しく低いのだと思います

ちなみに花の名前も鳥の名前も同じように覚えられません

花はひまわりやチューリップは大丈夫です(-.-)

鳥はすずめやハトはわかります

あとはすべて花であり鳥です(*_*

脳トレ以外にもベストセラー作家の脳外科医のところで脳を見てもらいましたが普通の脳だと言われました

よろこんでいいのか・・・

死に直面する

 

6度目の入院から2年後に7度目の入院をしました

この時は本当に大変でした

この時は家でくすぶっていて筋トレでもしようかとジムに通い始めました

トレーナーが専属で付くやつです

ジム通いを始めてしばらくして

 

最近汗の量が尋常ではないな

それに身体に力が入らない

そう感じ病院に血液検査に行きました

数日後にその日もジムに行こうと思ってた直前で病院から電話がありました

血液検査の数値が異常値でまたもや即入院となりました

CPKという値が30000を超えていました

CPKは正常値が50から230くらいで30000は直ちに生死にかかわる値で医者が絶句していたのをよく覚えています

原因は当時服用していた安定剤と激しい筋トレが身体に合わないことでした

医者から電話があったその日も筋トレに行く直前だったのでもう少し連絡が遅かったらジムで倒れてその場で死んでいたかもしれません

CPK以外にも肝臓や腎臓の値もボロボロになっていました

死に直面してやっぱりまだ死にたくないという想いが沸き上がってきました

あれだけ人生と自分に絶望し死んでもいいと思っていたのに・・・

いざ死を目の前にすると【まだ絶対死にたくない】と思いました

幸い心配されていた後遺症もなく、すべて正常値に戻りました

生死をさまよったこの経験で人生観が変わりました

もう一つ死を覚悟した体験があります

親の車を借りてその車を私の友達が運転していました

私は助手席に乗っていました

友達が交差点で右折しようとしていたところに猛烈なスピードで対向の大型車が直進してきました

友達も普段運転していなかったので運転勘がイマイチで右折するタイミング遅くなりました

 

確実に正面衝突する

どう考えても左の助手席にいる私はぶつかる

そう思った瞬間に対向車と自分の乗っている車の距離が離れていきました

はっきり覚えていないのですが車同士が磁石のように反発し合ったようでした

当時は衝突被害軽減装置などはありません

よく覚えているのはいつもは冷静な運転していた友達が呼吸を乱してびっくりしていた様子です

友達も【もう絶対ダメだと思った】といっていました

まだ生かされている

生かされているこの人生を少しでも有意義にしないと

そう思えてきました

この経験以降、死にたいと思わなくなりました

少しでも自分の人生を良くしていこう

そう決意しました

会計の仕事を始める

 

ニートをやりながら絶望しつつ自分に出来る事は何かを考えました

子供のころから数字には強かったのです

映像は記憶出来ないけど数字は記憶できる

よし、経理の仕事をしよう

経理であれば車で頻繁に移動するような事もない

 

さっそく会計関係の本を読んだり、簿記2級を取得しました

やっと見つけた未経験でできる経理の仕事もブラック企業で3年に2社を退社しました

そのあと入った会社が現在も勤務している会社で10年以上勤めています

仕事を進めていくうちに自分の短所だけでなく長所も見えてきました

神経症的な性格が仕事にはプラスにもなりました

他の人が気付かないリスクやリスクの可能性を誰よりも先にキャッチし、問題が顕在化する前に解決したり問題が大きくならないうちに摘み取ることができました

それによって周囲が私の話に耳を傾けるようになりました

できないからこの先起こり得ることを

誰よりも具体的に仮説を立て対策を打つ

そんな癖がついていました

1度の成功体験で得られたもの

  • 他の事が出来なくても1つ秀でた点があるとそれがよりどころになり、絶望具合もかなり和らぐ
  • 自分にしかできないことがあるとが周囲もそれ以外のできないことは大目に見てくれるようになる
  • 努力してできるようになった体験は自分は何をしてもダメだというマインドから脱却できる
  • 次もチャレンジしようと思える

 

部下とコミュニケーションがとれない

 

そのあと部下とのコミュニケーションで悩みました

部下の女性は私に対してとても緊張していました

他の人とはゲラゲラ笑って話すのに私の前では一言も声が出ないそれくらい緊張していました

唇が硬直して動かないのです

私はなんとか緊張をほぐそうとしましたが逆に私にも緊張がうつってしまいました

部下と同じように唇が硬直して言葉が出てこなくなりました

これは大変です

仕事を進めていかないといけないのに2人とも会話ができない

困った私は演劇をやったりコーチングやNLPなどいろいろな心理学を学びました

学んだことを実際にいろいろ試していくと少しずつ自分なりに対処方法が分かってきました

そして部下との緊張関係も改善することができました

ブログを開設する

 

私はNLPなどの心理学に300万円以上自己投資をしてきました

そして部下との関係を改善し、自分も少しずつ改善することができました

  • 失敗してもあきらめず、果敢にチャレンジする力
  • 意見が違う人とも冷静に対話する人間関係構築力
  • 人前で堂々とプレゼンする力
  • 自分や他人を受け入れる力

 

心理学を学ぶことでこのような能力を身に付けることができました

おかげで絶望的にできない人間がなんとか15年以上社会に出て生きていくことができたのです

ただ正しい心理学に知識や情報は世の中の多くの人には伝わっていません

それどころか、世間で通説になっている精神論などは逆効果なことが多いです

 

自分の知識や経験を少しでもシェアして役立てたい

 

そういう想いでブログを開設しました

私の好きな本にセラピストの石井裕之さんの【ダメな自分を救う本】があります

この本に【ないものに心を注ぐな】というプレーズがあります

ダメな自分を変えるためには【できないこと】や【ないもの】に目を向けるのではなく【今この瞬間の自分からスタートする】ということです

【ダメな自分を救う本】の中で病気をきっかけに引きこもりになった男性の話があります

著者の石井裕之さんがこの男性にセラピーを行って社会復帰していったのです

それによると【できない事】ではなく【小さなできる事】に目を向けて最初はトイレのスリッパを揃えるところから始めます

物足りなくなったら次にできること、またできたら次にできることと少しずつできる事を積み重ねていきその男性は社会復帰し、その後結婚したそうです

今までやっていなかったことで

ほんの少しの努力でできることを丁寧に積み上げていく

これをやっただけなのです

 

本書の中に【ビルゲイツもイチローもタイガーウッズも自分ができることを積み上げていっただけでできないことはできない】とあります

石井裕之さんの【ダメな自分を救う本】は何度も読み返しその都度とても救われました

【ダメな自分を救う本】を見てみる

会社を辞めよう

 

ブログで自分の今までの経験や知識を発信しよう

必死で情報収集や情報発信を続けました

その過程でネットですばらしい価値提供をされている方々に出会うことが出来ました

ただやみくもにアクセスを集めたり、セールスしたりするのではなく

本当に必要としている人に価値ある商品を届け、多くの人の悩みを解決していました

ネットビジネスって聞くと怪しい人が多い印象ですが

彼らは

ネットの拡散性と自動化を上手く使って

価値ある商品を

本当に必要としている人のみに

届けていました

【これだっ】と思いました

 

超絶できない自分が

  • 何とか社会で生きていくために身に付けた心理学のスキルを

同じように困っている人にその対処方法を伝えたい

  • ネットビジネスで身に付けた

価値ある商品を必要としている人に届ける

ビジネス自動化のスキルを

本当に必要としている人にその価値を届けたい

 

自分と人生に絶望していた状態から

現在は自分の経験をビジネスに活かし

多くに人に感謝されるまでになりました

これからももっと高い価値を必要とする人に提供しようと思っています

最後までお読みいただきありがとうございました